古代インドのサンスクリット語で「偉大な人物の行動の成功は、その行動の手段によるよりも、その人の心の純粋さによる」というある聖人の言葉が残されています。純粋な心とは言い換えれば、物ごとを行うときの動機が純粋であり、私心がないということと同じです。またそれは、人間として何が正しいのかということとも共通しています。
純粋な心を身につけることによって、私たちは間違いのない人生を歩んでいくことができます。純粋で私心のない心、すなわち人間として高い見識や見解を判断基準として物ごとを決め、人生を歩めば、その人の人生に大きな潤いとすばらしい結果をもたらすのです。
(
『京セラフィロソフィ』サンマーク出版 P369より)
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何かが上手く行かなかった時、なぜうまく行かなかったのかを振り返ることがありますが、大抵の原因は当初の予定や計画通りに物ごとが進まなかったために起こっています。
そして予定通りに進まなかった原因をたどると、大抵は「これくらいだったら大丈夫」とか「これはやらなくても問題ない」といった予定を覆す行動が背景にあります。
それは人の心の隙が生じさせているものです。
この「心の隙」をどれくらいなくして、真面目に一つ一つの物ごとに取り組めるのかが、上手くいくかどうか、信頼されるかどうかの鍵になります。
ただし一緒に働いている人達全員の行動を常に監視し、これらのことをチェックし続けることは不可能です。
だからこそ、理念が大切になってきます。
これからやらなければならないことは、新たな仕組みや方策などではなく、基本とは何かを再確認し、その大切さを浸透させることのように思います。