「知っている」ということと「できる」ということはまったく別です。
たとえば、セラミックを焼成するときの収縮率の予測一つをとってみても、この事実はよくわかります。文献などで得た知識に基づいて、同じ条件で焼成を行ったつもりでも、実際に得られる結果はその都度違ってくるということがよくあります。本の上での知識や理屈と実際に起こる現象とは違うのです。経験に裏打ちされた、つまり体得したことによってしか本物を得ることはできません。
このことは営業部門であれ、管理部門であれまったく同じで、こうしたベースがあってこそ、はじめて知識や理論が生きてくるのです。
(
『京セラフィロソフィ』サンマーク出版 P178より)
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ものづくりの現場にいると、こういうことは本当に痛感します。
自分で手を動かして体験をすることで、その作業がどの程度大変なのかがよくわかります。
だから知識だけで簡単に「こうすれば出来るだろう」といわれるとカチンときます。
もちろん中には大したことじゃないのに、「大変だ、大変だ」と騒ぐ人もいます。
その見極めはどうすればつくのかというのは、結局それをやったことがある人で、信頼のおける人に確認してみるしかないでしょう。
安易に「出来ますよ」と言って後で「やっぱり難しくて出来ません」という人もいれば、慎重になりすぎて出来るものも「出来るかどうかわからない」という人もいます。安易な人よりは慎重な方がましですが、あまり慎重すぎてもチャレンジする機会を失うこともあるので、成長できません。
出来るかどうかわからない時には、正直にそう申告しつつ、機会を貰えたら出来るように全力で努力するというのが誠実な対応だと思います。