現実は厳しく、今日一日を生きることさえたいへんかもしれません。しかし、その中でも未来に向かって夢を描けるかどうかで人生は決まってきます。自分の人生や仕事に対して、自分はこうありたい、こうなりたいという大きな夢や高い目標をもつことが大切です。
京セラをまず西ノ京で一番、その次に京都で一番、それから日本一、世界一の企業にしたいという大きな夢を創業時から描き続け、努力を重ねてきたことによって今日があるのです。
高くすばらしい夢を描き、その夢を一生かかって追い続けるのです。それは生きがいとなり、人生もまた楽しいものになっていくはずです。
(
『京セラフィロソフィ』サンマーク出版 P361より)
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ヴィクトール・フランクルの有名な公式に「絶望=苦悩-意味」というものがあります。
彼はアウシュビッツ収容所での経験から、「意味の無い苦悩こそが絶望である」という考え方を導き出しました。
「苦悩」を「現実」、「意味」を「夢と希望」と言い換えると、私たちにとって身近な言葉になるように思えます。
今の日本の社会は、「現実」ばかりが目について、「夢と希望」が見出しにくくなっているような気がします。
なぜそうなってしまったのでしょうか?
それは「夢と希望」を見出す条件というのが、家庭の裕福さであり、裕福さを担保する基準が学歴の高さと認識されていることが、大きな要因なのではないでしょうか。
高学歴高収入な家庭に育った子どもは、同様に高学歴高収入な生活を手に入れることができ、反対に低学歴低収入の家庭に育った子どもは、低学歴低収入のままで負の連鎖を繰り返す。
しかしそれって本当でしょうか?
戦後の日本は収入も低く高学歴の人材も今ほど多くなかったはずです。
それなのになぜ日本は戦後からこれほどまでに発展してきたのか?
豊かな生活を保証するのは、高学歴や高収入ではなく、自分の境遇を正しく受け入れて、そこからいかに希望を見出して日々努力するかにかかっているのではないでしょうか。