京セラは「フェアプレイ精神」に<ruby><rb>則</rb><rp>(</rp><rt>のっと</rt><rp>)</rp></ruby>って正々堂々とビジネスを行っています。したがって、儲けるためには何をしてもよいとか、少しくらいルール違反や数字のごまかしは許される、という考え方を最も嫌います。
スポーツの世界でも、反則やルール違反のないゲームからさわやかな感動を受けるのは、フェアプレイ精神に基づいているからです。誰であっても、矛盾や不正に気づいたら正々堂々と指摘をすべきです。
私たちの職場が常にさわやかで活気あふれたものであるためには、一人一人がフェアなプレイヤーであるとともに、厳しい審判の目をもつことが必要です。
(
『京セラフィロソフィ』サンマーク出版 P223より)
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私は学生時代、学ランの詰め襟やボタンはきちんとしていた方が格好いいと思い、ぴっちり首までとめていました。
社会人になってからも、電車料金やお釣りをごまかすようなことが嫌いで、真面目に払っていました。
周りからは「みんなやっているのに、バカ正直に払う必要ないだろう」と言われたこともありました。
でも私はそれを許していたら、もっと大きなこともついつい許してしまって際限がなくなると思い、頑なに守ってきました。
「ええカッコしい」だと言う人もいるでしょうが、自然にそういうことが出来る人は本当にカッコいいと思っています。
以前、長男が塾に通っている時、雨が降ったので車で迎えに行ったら、他の塾生たちが信号のない道路を横断している中で、長男だけが少し離れた信号まで律儀に歩いて行き、青信号になるまで待っていました。
その光景を見て、特に長男には何も言っていないのに、そういう感性は似るのかと不思議に感じたことを思い出しました。